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下町のオステオパシー治療院 みづほ整骨院

電話でのご予約・お問い合わせはTEL.03-3805-0522

〒116-0014 東京都荒川区東日暮里1-2-3


         オステオパシーで身体の息吹を呼び戻そう

      下町のオステオパシー治療院  みづほ整骨院

オステオパシーとは

私たちが実践しているオステオパシーという治療法についてお話させて下さい。


皆さん、オステオパシー(osteopathy)という名前を知っておられますか?
多分大多数の方々はご存知ないかと思います。でもこの治療法の亜流である「整体」や「カイロプラクティック」を受けられた方は沢山おられるでしょう。オステオパシーとはそれらの手技療法の源流となった最も伝統のある手技療法なのです。

オステオパシーについてお話するためには、このオステオパシーを考案し、世界中に広めた人物について語ることが一番良いと思います。今から約170年も前のことです。1828年8月6日、アメリカのバージニア州で一人の男の子が生まれました。

名前をアンドリュー・テイラー・スティルといい、彼は子供の頃から人の骨に対して非常な興味を持っていました。彼はその興味の対象である骨を得るために、現在の日本では考えられないことですが、墓地から死体を掘り出し、それを使って遊んだりしていたそうです。(そんな子供の親でなくてよかった。)(^_^;)                  

成人して彼はカンサス市の大学で医学を学び、医師となりました。ちょうどその頃アメリカでは南北戦争が始まり、彼も軍医として活躍しました。悲惨な話ですが戦時中の軍医とは、医師として臨床経験を積むには最適な役であったそうで、除隊後彼は名医として知られるようになりました。

しかしある年に全米で髄膜炎が大流行してしまい、彼は最愛のわが子を立て続けに三人も、髄膜炎によって失ってしまいました。子の親としてその時の彼の悲しみは察するに余りあるものですが、医者として彼は自分の無力さに嘆いたそうです。しかし無理もありません。当時は抗生剤やまともな解熱剤もない時代です。治療といっても、瀉血(本当に何リットルも抜いたらしいです。アメリカ初代大統領のワシントンも病気の治療のために施した瀉血療法のやりすぎで、出血多量のため他界したという裏話もあるほどです。) 水銀の投与(今なら間違いなくワイドショーものでしょうね。)くらいしかなく。医者は患者さんの体を触って熱を確認し、当時のまやかしの様な治療をして「おだいじに」といって帰っていくのが通り相場だったそうですから。            

さて、最愛のわが子を流行り病で亡くした彼は、当時の医学に疑問を抱くようになりました。そしてその後の彼は自然医学(本来、体にそなわっている、自然に回復する能力を活かした療法)に目を向けるようになりました。


多くの 試行錯誤をくり返し続けているうちに、あらゆる病気の人には、筋肉や骨格などに異常があることに気がつきました。そしてその異常が原因で、からだのバランスがくずれ、病気や、痛みとして現れるのではないかと考えはじめました。

人間の体の70%は骨と筋肉から出来ています。神経や内臓に病気があると、必ずといっていい程、それは筋、骨格系に異変が現れます。それならば、筋、骨格系の異変も神経や内臓に影響を与えるに違いない。その時最も重要なのは脊椎であろう。 筋、骨格系と脊椎の機能の活動の悪いところを調和する事で、内臓、神経の疾患をよくすることが出来るに違いない。そう考えた彼は自分の患者さんを筋、骨格系と脊椎を使って、当時治療不可能といわれた様々な病気を、薬や手術を使わずに治しました。彼の治療成績は、当時の医学レベルをはるかに超越し、また彼も当時の薬(水銀や砒素など)を用いる普通の医師のことを非難していた為、この医学は、当時のアメリカでは受け入れてもらえませんでした。

彼は全米中をこの新しい医学であるオステオパシーを実践して回り、最後にミズーリ州のカークスビルという田舎町にやっと落ち着き。少しづつ、そのめざましい治療効果が人々の間に広まり、しだいに、たくさんの患者が彼のもとに押し寄せて来るようになりました。その盛況ぶりはこの小さな町に彼のオステオパシー治療を受けにくるために鉄道が敷かれ、患者さんが宿泊するためのホテルが建設されるほどでした。

彼は1892年にこのカークスビルに医学校を建てました。この医学校はすぐに医科大学となり、百年経った現在も最も伝統のあるオステオパシー医科大学として沢山の優秀なオステオパスを輩出しています。現在、全米で20校ほどのオステオパシー大学が存在し、ヨーロッパでもたくさんのオステオパシー学校があります。

オステオパシーの基本原理は次の4つの言葉に集約されます。

1. 身体は一つのユニットである。

2. 身体は独自の自己防衛と自己調節の機序を持つ。

3. 機能と構造は相互に関連する。

4. 治療の際に上記3原則を考慮する。


健康についてスティル先生は「出来る限り全ての部分と構造が完全に共働する身体、精神、そして魂。生命にとって必須な物質を与えてくれる環境の中でこれら3つが全て共生している状態。」と言っています。彼の教育理念はとにかく1に解剖、2に解剖だったそうです。とにかく自然な人間の身体について深く学びなさいと説きました。そして学生たちにあまり技術的なことは教えませんでした。それがオステオパシーの発展のためには良かったのでしょう。スティル先生の学生の中から、オリジナリティに溢れた幾多のオステオパスが様々なテクニックを考案し、現在では私たちが学びきれない程の多種多様のテクニックが存在します。



アメリカで発祥したオステオパシーはすぐにヨーロッパに伝わりました。1902年にはイギリスでオステオパシーの学校が設立されたほどです。そして皮肉なことにヨーロッパに渡ったオステオパシーは、本家のアメリカより手技療法として、より洗練されたものとなりました。その理由は、アメリカのオステオパシー医師は元々メディカル医師であったからです。彼らは手技療法を行うと同時に薬の投与もできる資格がありました。

ところがヨーロッパではオステオパシーを行う者は手技療法しか施術出来ない環境で広がりました。

オステオパシーが創出された当初、その創始者であるスティル先生はあくまでも人間本来が持っている自然の力を信じ、彼が死去するまで薬を否定し、自分の患者さんには絶対に薬を使いませんでした。

しかしアメリカでは後に続くオステオパスの中にはその精神は失われ、安易に投薬に逃げる医師が増え始めました。何故でしょう?その答えは簡単です。そのほうが施術する側は楽だからです。手技療法を会得するには気の遠くなるような修行が必要です。また良い師に出会う必要もあります。それに比べ薬の処方を書くことは造作もないことです。なにしろ手技療法での治療は、治療師と患者さんとの一対一の世界です。同じような症状でもその状態は一人ひとり全くといって良いくらい違います。そして残念なことになんにでも効くという万能のテクニックは存在しません。

向上心のある手技療法家は自分の休日を返上してまでも様々なセミナーや学会に出席し、常に新しい技術を導入して患者さん一人ひとりに対して最善の方法で対処しなければならないのです。

一方、ヨーロッパのオステオパスは我が国同様、投薬や手術は出来ないので、手技療法のみで患者さんを治療していきました。いわば純粋な形でオステオパシーが発展していったのです。

話はそれるのですが、こんな小話を聞いたことがありますか?「アメリカ人は薬で健康を求め、フランス人は生活に健康を求める。そして中国人は食に健康を求める。」アメリカの薬品は市販薬でさえ劇薬といっても過言でないほど強力な効き目があります。強い薬は必ずといってよいほど副作用が伴いますから身体に対する侵襲性はかなり強いでしょうね。ただ基本的に欧米人はそういうことに対して強く出来ていますから…。
(日本人だったら大変なことです。)ヨーロッパの人々は病気の原因を知ろうとします。中国の医食同源は説明するまでもないでしょう。

我が国でもオステオパシーは大正時代にアメリカから導入されました。しかしそのとき既存の民間療法と混同され「山田式整体術」という一つの枠の中で紹介されたため、「オステオパシー」という言葉は忘れられてしまいました。現在、日本では多種多様の各種療法を受けることができます。タウンページを覗いてみるとその多さにびっくりしますが、国家資格であるはり灸や指圧・マッサージを除き、中には2.3日の講習会で開業できる整体まがいのいい加減なものもたくさんあります。いったい人間の身体を扱わせていただく仕事を何週間、何ヶ月の単位で会得できるわけがありません。

先ほども申し上げたとおり欧米で「オステオパシー」はメディカルに次ぐ医療行為として広く普及しておりますが
現在、残念ながら日本の法制下では無認可の療術行為のひとつとして位置づけられております。

ですが、当院では「柔道整復師」という国家資格を有した施術者が長年かけて培ってきた確固たる技術を持って治療に当たらせていただいておりますので、どうぞ安心して治療にいらしてください。




 

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